※ご利用者の名前はすべて仮名です。
※社員の役職などは掲載時のものです。
不器用な私を支えてくれるもの
ケアに向かう道すがら、必ず環八のとある交差点で信号待ちをするのですが、その日に何万台と車が行き交う植え込みの陰に数本の麦が自生しているのに気付いてから、かれこれもう数年が経ちます。恐らくどこからか種が飛んできて根付いたのでしょうが、麦は劣悪な土壌や排ガスにもよく耐え、毎年のようにその場で小麦色の実をたわわに実らせるので、ケアに行く時の私の元気の源になっています。
そんな私が小野田さん(仮名)のケアに伺うようになって、はや6年が経とうとしています。そして小野田さんのケアに伺うと、なぜか帰り際にその“環八の小麦”のことをよく思い出すのです。
小野田さんは半身が麻痺しておられ、当初から入浴介助で伺っています。しかし当時ヘルパーとしてまだまだ駆け出しだった私は、利用者さんとコミュニケーションを取るのが下手で、新しい方のお宅に伺うたびに内心ビクビクしていました。よく「元気がいいね」と言われましたが、実はカラ元気。不安の裏返しです。決して長くはない入浴時間ですが、その間の会話にもいつも「今日は何を話そう。こう言われた時は何と返せばいいんだろう」などと悩んで身構えてしまうのです。
そんなある日、ケア中にちょっとしたハプニングが起きました。小野田さんが服用しようとした粉薬を、ご自身が咳をした拍子に散らしてしまったのです。もちろん薬に関しては、すぐにその場で新しいものを服用して頂いたのですが、その時私はうっかりしていました。「大丈夫ですよ〜」と朗らかに笑ってしまったのです。
でも小野田さんは、真面目で曲がったことが大嫌いな、いわゆる江戸っ子気質の方です。「人の失敗を笑うとは何事だ」と、顔色を変えて怒りだしました。私は突然のことに何と言っていいか分からず、ただ小さくなって「すみません、すみません」としか言えませんでした。
結局小野田さんは、ケアが終わる頃にはすっかり機嫌を直されていたのですが、その日を境に私は小野田さんに接するのがますますおっかなびっくりになってしまい、彼との間に何となく目に見えない線でもあるかのように感じていました。
そんなことがあってから暫くのち。友人が那覇マラソンなるものに出ると聞いた私は、何を思ったか「よし、私も! 昔陸上部だったから何とかなる!」と、軽い気持ちで参加を決めていました。でも後から思えば、20年以上もランニングのラの字もしてなかったのですから、無謀もいいところ。なのに「参加することに意義がある!」などと、すっかり楽しい沖縄旅行の余興みたいに思っていました。それに何より当時の私には、利用者さんたちとの会話の糸口が、どうしても欲しかったのです。
特に小野田さんは、私が市民マラソンに出る事にしたと言うと、毎週とても喜んでその話に乗って下さいました。ご自身も日々のリハビリ歩行に、並々ならぬ熱意と努力で臨まれている方でしたので、その間は確かに会話のネタに事欠くことはありませんでした。
そしていよいよ那覇マラソン当日。2万人近いランナーが、42.195㎞先のゴールを目指して一斉にスタートを切りました。私は当初、この人数だからとごく軽いランニング程度のスピードを予測していたのですが、甘いにも程がありました。蓋を開けてみれば、立錐の余地も無い中で猛ダッシュを始めた人々に取り囲まれて抜け出せないまま、20分以上も全速疾走を続けてしまったのです。
結果、その群衆からようやく抜け出せた頃には、早くも足を引き摺りながら歩くことしか出来なくなっていました。まだ5㎞地点を過ぎたばかりだというのに、もう既に足が笑っていて、歩くのですらやっと。何度リタイヤを思ったかしれません。でも沿道には遥か遠くまでびっしりと地元の応援が出ていて、口々に「頑張れー!」と言ってくれています。大勢の方達が手に手に差し入れを持っていて、「食べて行きなさい!」と勧めてくださいます。そんな中では、とてもリタイヤなど出来ないまま、ヨロヨロと走ったり、また歩いたり、時には立ち止まってしまったり…。
そんなことを延々繰り返しているうちに、地元のデイサービスらしき前を通りかかりました。するとそこの職員や利用者の方たちが全員外に出て、沿道で応援していたのです。私はその瞬間、なぜか小野田さんのことを真っ先に思い出しました。今思えば、あの“お叱りの一件”が心の奥に引っかかっていたからかもしれません。とにかくそこからはもう夢中でした。「東京に帰って小野田さんに報告するんだ。リハビリを一日も休まず頑張っている小野田さんに、恥ずかしくない走りをしなくては!」と、無我夢中でただ前へ前へと進みました。いつリタイヤしようかと、そればかり考えていたのに、沿道の応援に押されるようにしながら、結局20㎞地点まで辿り着くことが出来たのです。残念ながらそこから先は時間制限の壁に阻まれて進めませんでしたが、その夜ホテルでトイレに立つのさえままならない程の重度の筋肉痛に悩まされながらも、私は満足でした。
数日後、小野田さん宅にケアに伺うと、開口一番「どうだった?」と聞いて下さいます。私はいつになく胸を張って、マラソンの事を順に話し始めました。ところが小野田さんは、「沿道で応援して下さる方達が皆さん『持っていきなさい!』と差し入れを渡して下さるんですよ〜」と話しだした途端、突然顔をくしゃくしゃにして男泣きに泣き出したのです。驚きました。けれどその時の私は、不思議と慌てたり戸惑ったりすることはありませんでした。「小野田さんに笑われないように、諦めないで頑張りましたよ」と、彼が何度も涙をこらえている中、最後まで落ち着いて話すことが出来ました。これも利用者さん達のお陰で得難い体験をさせて頂き、僅かだけれど成長することが出来たからかな、なんて思っています。
あれから数年が経ち、小野田さんは何度か入院されたりする過程で、少しずつではありますが歩行が困難になってきています。ただ私の前では冗談めかして「もうダメだなー」と弱音を吐いたりする事はあるものの、一番肝心のリハビリは、いまだに決して手を抜くことはありません。
そんな時、私はふと環八沿いで揺れるあの麦を思い出すのです。踏まれて傷付くことによって、何倍も強く、逞しく育って実を結ぶ麦。置かれた不遇な環境にも屈することなく、次の世代に確実に実を残していくことを忘れないその姿勢は、必ずしもホームヘルパーという職業が向いているとは言えない不器用な私を、今日もしっかりと支え続けてくれています。
